The Moon Age Calendar >> Main >> Exhibition >> Missions  DrawUp 1998/02/10



月への道



1960年代が終わる前に、アメリカは人間を月へ着陸させ、
安全に帰還させる。
アポロと名付けられたNASA(アメリカ航空宇宙局)の
新しい有人飛行計画には、偉大な任務が与えられました。

人類の月面到達30周年に向けて、当サイトでもアポロ計画を取り上げることと致しました。



1957年10月4日のソ連のスプートニクの打ち上げ成功は、裏を返すと大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成を意味することでした。

第二次大戦中のイギリスやベルギーがドイツのV2ロケットによってもたらされたのと同じ脅威を感じたアメリカは、急ピッチで宇宙開発へと乗り出して行きました。

当時、新聞報道などでは「真珠湾以来の敗北」とまで言われ、アメリカのショックがいかに大きかったのか想像できます。

同じ年11月3日にソ連は、さらにライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げに成功します。

アポロ11号の打ち上げ。


アポロ16号が捉えた月。
12月8日にはアメリカ初の衛星バンガードの打ち上げに漕ぎ着けますが、結局失敗に終わったのでした。

次々にソ連に先を越されたアメリカは1958年1月31日にエクスプローラー1号の打ち上げに成功します。

余談ですが、アメリカ人は後から追いかける場合には「エクスプローラー」と言う言葉が好きなようです。

その2年後の1961年4月12日にはソ連は有人宇宙船ボストーク1号を打ち上げ、更に引き離しに掛かります。

ユーリー・ガガーリンが世界初の宇宙飛行士となりましたが、108分間で地球を1周りしただけのことでした。

しかし、その3年前の1958年からソ連は月探査機「ルナ」を打ち上げ、本格的な月の科学探査活動を開始していたのです。

これによって、月をソ連の領土とされるのではないかという驚異が、1961年5月ケネディ大統領が議会で歴史的な演説を行った真意とも言われています。

アメリカ合衆国大統領 J・F・ケネディの演説

我々は月へ行くという選択をした。
60年代が終わるまでに月へ行く。
困難であるが故の選択だ。
我々の漕ぎ出す海には得るべき新しい知識と勝ち得るべき権利がある。
人類の発展のため それらを手に入れねばならない。
我々は38万キロ彼方の月に向けて
ヒューストンからロケットを打ち上げる。
ロケットは全長90メートル余り、新しい合金で作られ、
かつて無い高熱と高圧に耐えられるものとなる。
精巧な時計より更に精密な技術を持って組み立てられ、
推進・誘導および生活に必要な全ての機材が組み込まれる。
未知の天体への未踏の飛行のために、
人類の歴史上最も危険で最も大規模なこの冒険に、
神のご加護があらんことを。


1961年5月25日ケネディ大統領は
議会で歴史的な演説を行った



月への道

ジェミニ6号と7号のランデブー
アポロ計画に計上された予算は300億ドルと言われます。当時の為替レート(1ドル:300円)で約10兆円以上という想像を超えた巨額な予算が投入されました。

このプロジェクトのために軍事産業複合体として約2万社が動員され、延べ参加者は350万人にも上ると言われています。

有名なところではノースアメリカン社がアポロ宇宙船をダグラス社が月着陸船を開発しています。

アポロ計画はNASA本部(ワシントンDC)の有人飛行事務局の管理とされましたが、アポロ宇宙船計画はテキサス州ヒューストンのNASA有人飛行センターが指揮をとりました。

また、ロケット推進部門の「サターン計画」はアラバマ州ハンツビルのNASAマーシャル宇宙飛行船センターが管理し、飛行前のテストや発射作業はフロリダ州ケープ・カナベラル(現ケープ・ケネディ)のNASAケネディ宇宙センターが行いました。

ジェミニ4号のホワイト飛行士の宇宙遊泳
アポロ計画の前段階の準備として行われた「マーキュリー計画」、軌道操縦・宇宙遊泳・大気圏再突入・ランデブーや編隊飛行の技術の調整を行った「ジェミニ計画」を経て、また、同時に無人探査機「レインジャー計画」、同月面軟着陸「サーベイヤー計画」、そして月面のマッピングを主な目的とした「ルナ・オービター計画」によって強力に「アポロ計画」をバックアップして行きました。

アポロ計画は、科学技術的な困難や巨額の予算捻出、また探検という危険の伴う、人類史上最も大きな挑戦と言われました。

三人の宇宙飛行士を二週間にも渡り宇宙空間の中で活動させるための、空気や水・食料のほか生命維持に必要な様々な装置と、それらを正確に目的地まで運ぶ推進・操縦装置、また通信技術などが要求されました。

アポロ第2段ロケット
最も重要なことはこれらの信頼性で、いかなる状況下でも安定して動作することが第一に要求されました。

現代の旅客機に見られる二重三重の防護策が講じられ、当時の最先端技術の中でも、極力実績のある物を選別して組み上げられたのでした。

アポロに搭載されたコンピューターには、当時開発されていたシリコンチップのメモリーではなく、現在は全く使用されていないコアメモリーに超小型技術を導入し使用されました。

これは外界の強い電磁波からの影響や電源遮断時にも内容が保持されると言う信頼性を優先させた結果と言われています。

こうして総重量(燃料満載時)3000トン、全長110mという巨大なロケットが完成したのでした。



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月探査の歴史

月探査の歴史と今後

アポロ計画を成功へと導いた様々な月探査の歴史と今後の月探査についてご紹介します。




アポロ計画の歴史

巨額の予算と様々な困難を越えて達成したアポロ計画の歴史です。




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1963年から始まったアポロ計画をもう一度振りえってみます。




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偉大なるアポロ11号の偉業とその後の宇宙開発について。